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2022/7/29

Mo の日本脱出大作戦 #01

こんな絵本があった。遠くの街まで行くことになった三人。一人は飛行機で、もう一人は車に乗り、あとの一人は自転車のペダルを漕いでそれぞれ行った。たどり着くまでの時間が大きく異なるのは当然のことながら、それ以上に着いた先の街の見え方が三人でそれぞれ違ったという話だった。風景も、そこに住む人もその文化も、三人の目にはそれぞれ全く違うものとして見えた。飛行機で来た一人は何もかもが自分に合わないと早々に帰り、車で来た一人は宗教をはじめ、自転車で来た一人はその街で哲学者として生活した。

ベルリンから日本までの 9500 km を 2 度、自転車のペダルを漕いで来ている Mo にとって私たちが住むこの日本という国はどのように見えているのだろうか。今回は彼の Instagram から日本についてのポストを抜き出してみる。オリンピックのこと、東日本大震災のこと。


日本に居を移したのは、やはり東京オリンピック関連だった。全てが違う方向に進んだけれど、それでも開催するのにはそれなりの事情があるのだろう。

先週末は #OlympicRoadRace に行った。それは間違いなくエキサイティングだった。彼ら(現地スタッフ)は僕たちにそこでレースを見ていてはダメだと言ったけど、それは、「とりあえず言っておく」体のものだったと思う。日本はルールがすごく多いというのは間違いの無い事実だが、大抵の場合そのルールを守らずともなんとなくやり過ごす方法がちゃんとある😂

この週末は伊豆へ行って #trackbike の空気感を味わえることができればなと思っている。そう、オリンピックの自転車トラック競技がもう間もなく始まる。トラック競技の開催地は静岡県だから、そこはやはりルールも空気感も少し違っている。東京にいれば間違いなく、進行中の何かを感じることができる。街はとても忙しく、閉鎖されている道路も少なくない。 1 日おきに出会う選手たちを乗せた各国のチームのバス 🚌

彼らは戸惑うような目で僕を見る。この現実感のないバブルのなかでの競技なんておかしな経験だよな。

#35mm 🎞 と #disposable 📸 のフィルムカメラで撮った 2021 年 7 月の東京と神奈川の写真 🇯🇵


2011 年 3 月 11 日の日本時間 14:46 、マグニチュード 9.0 – 9.1 の東北地震と #tsunami が日本沖で発生した。その津波は福島第一原子力発電所における原子力事故を引き起こした ☢️

この地震は日本で記録された最も大きな #earthquake であり、世界においても統計が始まって以来 4 番目の大きさだった。この出来事はいくつかの異なる名前を持つ。多くの場合、 #東日本大震災 と呼ばれているが、 #311 #東北地方太平洋沖地震 、他にもいろんな名前で呼ばれている。 🌊 津波の高さは 40 m に達し 15,899 人が亡くなった。

その痛ましい出来事を自分の目で見ようと、震災のちょうど一年後に #Miyagi を訪れた時の写真だ。何も援助ができる立場ではないが、その話を広めるため、そして事故後も生活を続けようとする人々へのなんらかのサポートになればと写真を撮った。彼らは友人や家族を失っただけでなく、その歴史の一部を失い、おそらくまだ支払い終わっていないであろう家を失い、みんなに愛された木🌲 を失い、よく行ったラーメン屋を失い、あらゆるものを失った。波が奪ったものは命だけではなかった。

僕には奇妙に思う事がある。日本ではいつだってそうだったし、そのことが日本の文化のある部分を形作っているのではないかとすら思える事だ。それは原発事故とそれが奪ったものについての話し合いが少ない事、そして原子力発電についての考え方を変えない事。

コロナウィルス 🦠 はいずれ消えるだろう、しかしあの日発生した放射能から私たちが安全を得るには何百万年という時間が必要だ。

すべて #35mm 🎞 による写真 🇯🇵👊


さて、この後 Mo は日本を脱出し東南アジアへ向かいます。終わらないコロナウィルスの脅威、ロシアと世界の動向、世界的なインフレ、グローバリズムの地平を自転車で走り続ける Mo の Hobo ライフをまた次回も綴ってみたいと思います。

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