座を組む、息を整える、無の無を意識する。 いや意識してはだめなんだけども。 集中と空虚の狭間に入っていく感覚、きっとヨガをたしなんだ人たちならわかるであろう微妙な感覚がなんとも心地よい。 もしかしたら60年代のウエストコーストはこんなイメージで東洋を眺めたり、あごがれていたのか。 なんて想像もふくらむ。
またしても時は一瞬で通り過ぎ、東林寺の西川和尚が迎えに来た。 もちろん名目では
精進料理教室なのだが、根本的な食について、そして生きとし生けるもの対する力強い説法を説いていただけるだけで、じんわりと暖かいものが心に残っていく。 京野菜を切り、シンプルに調理しつつ、精進料理最大のおもてなし、胡麻を液状になるまですりあげる。 もちろん大変だが、一つ一つの行為がとても大切だ。
自分が食べれるであろう量をよそい、そして手を合わせ、お互いにその功績をたたえながら食する。 最後の一滴、一粒を残さず、お皿はお新香でぬぐい取ってから重ね合わす。 全ての理がかなっている。 そしてここで久しぶりに思う、そう豊かな時間だってことを。