自分の夢を語ることで、他人の心に火を灯すことのできる人はほんの一握りしかいない。
ましてや、言ったことを実際にやってのける人なんて。
Groumet Century Ride Asuke 2016。
人と自転車とエネルギーの渦巻くイベントの中心、台風の目のような場所に姿が見え隠れするひとりの男がいる。
田中慎也さんの。
想像力と行動力を持ち合わせた稀有な人だ。
Groumet Century Ride Asuke 2016。
多くの人を惹きつけたイベントは、生み出されていく過程でも多くの人を巻き込んでいるようだった。
Circles、SimWorks、Early Birds Breakfastなど、自転車のある生活を提案する人々に、
彼らの周りの同年代、名古屋や三河愛知県内で活躍する料理人たちに、
開催地足助に暮らす人々、田畑を耕す人、
それから自転車の作り手たち、はては遠くアメリカの自転車の作り手たちに料理人たち。
かくいう私も、田中さんの言葉に脳味噌の奥を揺さぶられたひとりで、この人とその周りで起こっている今の瞬間を少しでもこの目で見ておきたくて、
体感したくて、
足助へ向かった。
田中さんの熱にうかされ台風に飛び込んでいったひとりである。
かくして、私は田中さんの言葉を現実にしたかのような時間を体感することとなった。
「私たちはこの世界から無くなっていく物事を黙ってみているような生き方はしたくありません。」
そのシンプルで力強いメッセージはわたしの胸の奥深く深くに刻み込まれた。
SimWorksのカタログパンフレットで、またwebサイトにある言葉。
能動的な姿勢、宣誓ともいえる言葉に心が動かされない人が居たら、隣にいってほっぺたをつねってやりたいとすら思う。
そしてもうひとつ、自転車をつくり、売ることを出発点とし、見据えている世界と責任。
「自転車というキーワードから始まったのかもしれませんが、それを単なる物体として話を終わらせてしまうのではなく、そこに関わっていくからには、人と人をつなぎ、自然と関わり、生産をし、需要を生み出し、街を創ってゆくといった成果に結びつけていくことを本質的なテーマにすべきであると思っています。」
この言葉を一部体現しているもの、それがGroumet Century Rideだったのだと、わたしは理解している。
自転車で巡るコースを私は車に乗っけてもらってGroumet Century Rideを早足に見学した。
山合いの棚田に育つ稲ー美山錦の間を疾走する自転車。
波打つ道が美しいのだということに気づかされ、はっとし、木々の葉の向こうにひろがる田畑にわたしたちの暮らしのことを想う。
お昼ご飯に塩むすびを食べて、美山錦でつくられた日本酒を飲む夕べ。
今見た景色をまるごと身体に取り込むような食事をする。
全てが繋がっていて、どれもがあまりに美しかった。
山国である日本には峠が多い。
「交通機関が発達していなかった昔の日本人は、山と山で区切られた地域を自分たちの生活圏としていた。山の向こうは他国である。他国へ行くには峠を越えた。峠を越えることは、辛いことでもあったし、怖いことでもあった。」
中西進の著書「日本人とは何者か」の中で「峠」がわたしたちにもたらす意識について書いている。
「しかし、峠を壊すことで土地が平坦になった。」 「たしかに、近代科学のおかげで、立派な道路ができ、自動車によって峠を難なくこえることができるようになった、夜間でも平気で通過できる。」 だが「私たちは、近代科学が与える目先の恩恵によっって、ものごとの本質が見えにくくなっている。」 と続く。
そんな「峠」をGroumet Century Ride Asukeでは、自転車で越える。
果敢に登りつめていく人もいれば、自転車をおして歩いていく人もいる。
顔を真っ赤にして、息を荒げながら登る坂道はまた時に、波打っていたりもする。
自動車で走るには不都合かもしれないが、歩いて、または自転車で走るのには楽しい道なのだろう。
私たちの故郷のもともと持っていた美しさを、自分の身体をもって知ることとなる。
「Groumet Century Ride を体験する」こと、つまり「自転車にのることと食べること」は、「知る」こと「想いを感ずる」こと、常に分かち難く一つだ。
簡単に壊してしまう前に、立ち止まろう、もう一度自分たちの足元を丁寧に見つめ直そうと、そういうメッセージ、「よく見よう」 という静かな情熱が皮膚から伝わって来るような、そんなコースだ。
食事もしかり。
朝食、昼食、夕食とおやつをたべながら、わたしたちは、愛知県この土地の自然と人々の物語をまるごと飲み込む。
魯山人によれば、元来「料理」とは理(ことわり)を料る(はかる)ということなのだ。
「ものの道理を料る」意である。この土地に生きるということ、暮らすということ、働くということ、遊ぶということ。
その本質を捉えることのできる料理人の手から生み出されるもの。
そういう料理をGCRでいただいた。
「人はみな風景のなかを生きている。知覚と行為の連携をベースに、知識や想像力といった主体にしかアクセスできない要素が混入しながら立ち上がる実感である。」 数学研究者、森田真生の言葉だ。
「何を知っているか、どのように世界を理解しているか、あるいは何を想像しているかが、風景の現れ方を左右する。」
だとしたら、Groumet Century Ride Asukeの経験を通して、参加者のその後の風景の見え方を少し変えてしまうこととなる。
それはたとえば、ある日、自動車にのって移動している時に「道路が波打っている」ことに気がつくことかもしれないし、どこまでもまっすぐで平らな道路に出くわした時に空虚感を覚えることかもしれない。
あるいは、電車のなかでほうばるおにぎりと、ペットボトルの緑茶のむこうに、茶畑の上でカラカラとまわる霜除けの風車の緩慢な動きとゆったりとした時の流れを感ずること。
そして自分の乗っている自転車のむこうに、作り手たちの顔を思い浮かべること。もしくは、繋がり、回り動いていく大きな流れを感ずることかもしれない。
愚痴や不満は誰でも言える、夢を口にすることだってできるかもしれない、でも、その夢に他人をどんどん巻き込める人、そして実際に行動し実現させていく人はなかなかいない。
Circles、SimWorksを立ち上げた田中さんの熱は、伝染していき、広がっていく。
彼の口から語り出される個人の想いは、次第に公共性を帯びてゆくように見え ───それが本人の意思に沿っているのかはわからないけれど─── 周りにいる人の頭と心を共振させる。
Groumet Century Ride Asuke 2016でこの目でみたものは、ますます勢いを増し、
回転速度のあがっていく「人とエネルギーと自転車の渦」そのものであった。
なんだか長い文章になってしまったけれど、つまるところ、私はなんだかとても胸がいっぱいになったのである。
’Well said’ & ‘Well done’の一言に尽きると思う。
感動した。
Words and Sckeched by 真子 from Mako.pen&paper)