FEATURE
2013/5/9
ALL ABOUT SIMWORKS AND NITTO

Photo by Rie Sawada,Ryota Kemmochi / Text by Shinya Tanaka/Movie by Ryota Kemmochi

僕らが旅に出る理由は多分100個くらいある。 そんな詩の始まりはどこかで聞いたこともある。

今までの僕らは、無い物ねだりを旅に出る理由にしては、海を越えて探検しにいくことがそのほとんどであったのだが、やがて少なからずの本質的な事情や現状を知り、その旅先に住むさまざまな情熱星人との出会いを通して、やはりこの ”小さな愛すべき島国” をいま一度しっかりと探索しなければならないと思い立たせてくれたのだった。

めぐりめぐって痛感することは多くある。 たくさんの出会いや感動を通じてどうしてもここに行き着いてしまった。 それは僕たち日本人はやはり日本でものをつくるべきだと。 表現するべき情熱と生み出す使命、そして伝えるべき真実。 つまり僕たちは、なにかを生み出していくことの大切な意味をきっちりと身につけてしまったのだ。

そんな話を今回の中心に据えてみることにした。

日本人が生み出す ”モノ” を僕ら日本人は一体全体どれくらい理解しているのだろうかと考えることは往々にしてある。 例えば、とても高性能でしかも使い切れないほどの機能を持つ携帯電話、冷蔵庫や電子レンジなんかを駅前の大型電気店で見渡した時なんかがそうだし、1年強くらいでしっかり寿命がやってくるタイマーを備えた製品がやはり期待通りに保証期限をちょうど越えてから壊れてくれるときなんかもやっぱりねって思ってしまう自分もいるし、海外でカローラをレンタカーし、1500マイルくらい走りながらその快適さや静かさやその値段を考えながら日本製品の素晴らしさを嫌というほど感じる時なんかもそうだ。

そして、そもそも壊れない物なんかは “絶対にない” ということがこの世界の基本ではあるのだが、やはりできる事なら “壊れにくいもの” を作り、みんなを安心させたいとすべての日本の製造人は思っていると僕はまだ信じているのだ。

先の世紀を振り返ると、世界はありとあらゆる物事をワガママに欲しいがままに行動してきたと思うし、社会レベルでも個人レベルでも、あれは過剰であった、これは不要であったという歴史を見つけることはだれでもできるはずである。 特に、改めて僕らの大好きな自転車という存在を中心に考えてみるとさらにその過剰であった物事が手に取るように分かるようになるのだ。

その “革命的” でわんぱくな “彼女たち” を再び手に入れた僕らはそれを正しく使いきり、理解することによって前記に記述したようなことを多く得ることが僕らは出来たのだし、それはとっても幸福なことだった。 と同時に多くの課題を抱えることにもなったのだけど、しかしこれもまた幸福なことなのだ。

失われたものや、見落とされているものに気づき、光をあて、あるべき姿に導き、繋げてゆく。

これが当たり前のようで中々どうして難しいのだけども、少しずつ着実に前に歩を進めて行く過程のなかで、響き合い、高まりゆく美しい瞬間をこちら側に住む人達とは分かち合えることを僕たちは知ってしってしまったし、知った以上は行動に移す義務があると考えたのだった。

リンゴを手に首を傾げるのはニュートンではなく、一般的には街中の主婦であり、ドロップハンドルを握る僕たちすら同じように産地の空に思いを馳せるのだ。

誰がそれを作るべきなのか? 誰がそれを消費すべきなのか? 見渡せば、スポーツバイクとは単に機材として消費され、消えてゆくことが当たり前かのようになっており、色褪せた実用車などは駅前でただ錆びてゆくことに対し、誰にも気をとめてさえももらえない。

愛着とは与えられるものではなく、自分の中から生まれてくるものであることを、皆はきっと ”うっかり” 忘れてしまっているに違いない。 そう考え始めたら、必要なものが次から次へと思い浮かんでスケッチブックはすぐにいっぱいになってしまうのだ。

今年、2013年をもって創業90周年を迎えたNITTOは、初めて僕らがこれだ!と思うアイデアを形にしてくれたとても大事な恩人であり、今ではお互いがとても信頼出来る重要なパートナーとして会話ができているとも信じている。

もちろん最初に話を提案させてもらった時の、門前払い感はなかなか忘れにくい苦い思い出話になるのだけども、今になってみるとどうして彼らが僕らにそのような対応をしたのかさえも、しっかりと理解ができるようになったのだ。 その考えとはその時点で僕らは、製造の “アマチュア” であり、なぜNITTOで作るのかというとても大事な考えが抜け落ちており、製造を長年行ってきた、彼ら、NITTOが自社で製品を作るためのとても重大なポイントすら理解もせずに、ずけずけと入り込もうとしていたのだった。 その彼らの役割とは、すべての “日本製” と名がつくもの代表、そして自負としての彼らの立場、また世界マーケットでの大きな安心と信頼の柱になっていることにも旅の道中で気づかされたのであった。

すなわち、日本製=壊れにくいもの、きちんとインフラストラクチャーとして機能する物づくりを最終的に成し遂げている日本人製造業者の大切な道理と理屈をまだまだ理解できていなかった僕たちにはまだ早いと諭された瞬間だったと思えるのだ。
 

正直な話、NITTOが求めているモノづくりの理屈は現状の世界の一般とは大きく違う点があるように僕らは思うのだ。 それは “趣味” という幅広い口語で捉えられた世界において、目的と意識をどこに設定するかによって作り方や考え方がもちろん変わってくるものなのだが、NITTOが昔から変わらずに気を配る自転車の最重要ポイントとして、やはり絶対的に不安定な乗り物として持ち合わせる弱点をどうクリアをしてそれらは作られるべきかということであり、それは決してどのメーカーも避けては通れないはずなのである。

製造のさまざまな過程はもちろん大事なのだが、彼らが特に長い時間を掛ける検査部署の役割は僕らが製品を作るときの最強の防波堤となり、それはまた長時間それらに手を触れる機会が多い使い手に対しても絶対的な安心感を得るためのコクピット創造へときっちりと繋がっていくのだ。

不安定なもの。 人は時として不安定な物事のほうに気が引かれる傾向も見受けられる。 それは旅や冒険に出ることの理由にも端的につながるのだが、この話はここまでにしておこう。

僕らの信じる ”彼女たち” も好きこのんで不安定に作られたわけでもないわけだし、ただ効率や性能や生産性を生まれた瞬間から今現在に至るまで追求をした結果、不安定なものでいいと理解、解釈され、かつ、そこに “楽しみ” すらを人々が見出してしまったということにすぎない。 そしてその不安定な彼女たちにもし万が一が起こると、一番最初に壊れる部品たちをこのNITTOが作っているという意味を、この文章を読んでくれている人々には少しでもわかってほしいとも願うのだ。

流行りやトレンドは多くの人の心を確実にノックするだろう。でもその先にあるもっと大切な ”使い切る” ということを置いてきぼりにしてどんどんと加速すらしていく世の中でもある。 そこで僕らは一体何を提案し、何を想像し、どう行動すればそれが失われずにすむのだろうかと考え続ける。

自転車という不安定な物と共に前に進むことを決め込んで、どんな人達にアイデアを欲してもらい、どんな信用を重ねることができるのだろう。 それはきっと少しづつの歩みであるのだが、Life is coming backと決め込んだ僕らにとってはNITTOという不安定と破壊に対する最大の理解者が僕らのそばに居てくれるという、最高の環境はまさに今ここ日本にあるということに感謝するべきなのだから。


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