NEWS
2017/7/28

[Bike 伊豆 between you and me] 世田谷ノスタルジア

自宅を出て伊東駅に到着したところでフロントタイヤがスローパンクしていることに気付いた。

王滝ではこれまで一度もパンクしていないというのに、自宅から駅までの3kmの舗装路でパンクすることに世界の成り立ちを感じる。

一旦家に帰ろう。

フロントタイヤが潰れきってしまう前に死に物狂いで坂を駆け上がる午前5時。

或いはKOMを獲得出来ていたかもわからないほど全力で。

 

気を取り直して再び伊東駅。

生まれて初めての輪行。

向かうは東京

電車を乗り継いで降り立つは小田急線梅ヶ丘駅。

 

18歳で上京し、その後8年間を東京で一人暮らしすることとなったのだけど、後半の4年間は世田谷区梅ヶ丘に暮らした。

梅ヶ丘に住み着いて半年ほど経った頃の盆、伊東に帰省した際にかつて中学校の同級生だった妻と再会し、更にその半年後に交際を始めることになる。

誰も信じようとしないのだけど、💘の感情を先に抱いたのは彼女の方だ。

嘘ではない。

(シムワークスと言えばこのズキュン印💘、ここぞとばかりに使わせていただこう。)

 

見る人によっては何の変哲もない普通の街並みの画像なのだけど、少なくともぼくと妻にとってはとても特別である。

10年前、二人でよく歩いた街をぼくは再び訪れ、ゆっくりとペダルと漕ぐ。

ひと月に一度のペースでぼくの住まうアパートに遊びに来る彼女を、ぼくは駅まで自転車を漕いで迎えに行き、そして駅からアパートまでの道のりでは自転車を押して二人で歩いた。

「ちょっと自転車見てて」と彼女に頼んで急いでコンビニで買い物を済ますことが多々あったし、彼女はなぜかぼくの右側を歩きたがったので、ぼくは利き手とは逆の左手で自転車を転がすことになった。

ぼくが一人でそのコンビニに立ち寄った時のことだけど、割れて二つに分断されかかったキャッシュカードをATMに挿入してしまい、数時間に渡りATMを沈黙させてしまったこともある。

そんな記憶の数々が少しずつ沸き上がり、目の奥で殻を破って弾けた。

蘇る小さな思い出の数々は油圧ブレーキのブリーディングの際の気泡に似ている。

少しずつ油面まで登ってきて弾けるのだ。

 

限りなくゆっくりと自転車を進める。

何度も来た道を戻る。

次の曲がり角の先を見るのが楽しみで仕方がない

それが何度も続く。

 

たまにしか会えないのだから彼女が来る日がいつも待ち遠しかった。

次回一緒に食べに行きたい店リストなんかを秘密裏に用意していた。

しかしそれでもよく喧嘩したものだ。

 

喧嘩の原因はいつも決まっていた。

彼女はあまりに正しいことを言い、ぼくは正しくないことを言うからだ。

わかっていても正しくないことを言わずにはいられないのが男である。

女性諸君、100回に1回だけでいい。

100回に1回でいいから男の戯言を許してあげて欲しい。

全力で報いてみせるから。

 

ぼくの借りたアパートは国士舘大学のすぐそばにあった。

6畳1kの小さく薄暗く、あまり綺麗とは言えない物件だった。

ある時期は室内をネズミが徘徊した。

炊飯器の水蒸気を排気する穴をかじられ、排気口はすり鉢状に2倍くらいの大きさに拡がった。

ネズミはどうしても炊き立てを食べたかったらしい。

思い返せば極めて綺麗好きな彼女が通うにはだいぶ酷な部屋だったのかもしれない。

尚、アパートは未だ健在だった。

 

アパートは梅ヶ丘駅からは徒歩10分に所に位置し、そして東急世田谷線の松陰神社前駅からは徒歩15分だった。

時間にして5分遠いのだけど、松陰神社前駅を利用することが多々あった。

5分を捧げる価値が松陰神社前の街並みにはあると思っていたし、10年経ってもやはりそう思えた。

どの土地においても、古くから続く人々の営みというのは力強く美しい

 

商店街は立派に機能していたし、スーパーマーケットも入口の自動ドアはひっきりなしに開く閉じるを繰り返し、人々を飲み込んではまた吐き出していた。

少なくともこの10年間は何とか共存してきたということだろうか。

奪い合ってどちらかを滅ぼすということがないのなら、過去も未来も常に明るく思える。

 

一人暮らしの時はこのスーパーマーケットにとてもお世話になった。

御飯は自宅で炊いていたが、おかずは消費期限迫る夜10時過ぎの値引き品に頼っていた。

どういうわけか惣菜・弁当の陳列棚にチャーハンしかない時は、チャーハンをおかずに白米を食べることになった。

余談ではあるのだけど、冷奴に麻婆豆腐をかけて食べるのもなかなかに美味しい。

 

彼女との結婚を決断し、二人での生活は世田谷区で続くのだと思っていたが、それは違った。

ある日ぼくらは新宿駅西口で待ち合わせたのだが、彼女は定刻に現れなかった。

電話すると、もうすでにランデブーポイントにてぼくを待っていると。

ぼくは辺りを探しまわるのだが、彼女は見当たらない。

再度電話して、本当にそこは新宿駅西口かと問う。

Yesと妻。

駅名を読み上げさせると、”にししんじゅくえき”。

新宿駅西口と違うじゃないか。

どういうわけか東京メトロ丸の内線に乗り込み、西新宿駅で下りたらしい。

いいか、絶対に一歩も動くなよと釘を刺し駆け付けると、心細さに半泣きの彼女は東京怖いと言う。

その後、結婚はしたいけど東京で暮らすことはやはり出来ないという彼女に合わせ、ぼくらは二人でお互いの故郷である伊東で暮らし始め、今のぼくがある。

西新宿駅のおかげで、今のぼくがある。

 

ライドと呼ぶにはあまりにささやかが過ぎる今回の自転車遊び。

距離にして約7km。

短くはあったが、とても多くの感動があった。

思い出を辿るなら遅い自転車が良い。

思い出を見過ごすことのないように。

ぼくが今回撮った写真を見て、妻も懐かしんで笑った。

 

思い出の地を往くわけでないにしても、アーバンライド、所謂街乗りというものを今一度考え直したい。

人々の生活圏をすり抜けて進み、立ち止まりたい時に立ち止まることの出来る自転車の存在価値をはっきりと思い出したい。

エピックであればあるほどライドとしての価値が高いと、いつの間にか錯覚してしまったように思える。

ライド自体が目的そのものでなくてはならないということは全く無く、美しい手段として便利なツールとしての自転車を忘れたくはない。

街乗り、これも工夫次第でいくらでも楽しくなり得るはずだ。

 

前置きが少々長くなった、否、前置きがこの記事の大半を占めることになってしまいそうなのだけど、今回の上京はこれが目的。

オールユアーズ主催のLife Spec CO-OPに出展するシムワークス本隊との合流。

 

シムワークスが生み出す物品だけでなく、理念を理解して頂きたく馳せ参じた次第である。

こちらでも10年ぶりの個人的な再開をいくつか果たし、ノスタルジア溢れる世田谷滞在となった。

また東京で自転車に乗ろう

会いたい人がたくさんいる。

再び訪れてみたい街が他にもある。

 

text : Hiroki Ebiko / SimWorks XC Racing [Blog] [Instagram]