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2020/9/12

A story of the mushroom ketchup

 もうすぐ夕方の 5 時か。まだまだ明るいな。だけど日差しがこんなに痛いほどだとは思わなかった。みんながサングラスしてるわけだ。

ドロップ先の住所を間違えてちょっと遅れてしまった。こんなとき前の会社だとイライラしたディスパッチャーにムッとされるけどここではそんなことはない。いちいち構っていられないのだろう。ま、とにかく電話だ。メッセンジャーのアイコンだと思っていた無線はこの街では混線したり圏外になったりするからここじゃもう使ってないそうだ。

「さっきの 5 件配達終わりました。」

「オーケー、Z。もうすぐ5時だけどどうする?まだ走ってくか?」

この時間にボスに連絡すると、仕事を上がるかまだデリバリーしていくかを聞かれる。

「今日は帰ります。」

泊まっている安宿の部屋に読みかけの本があって帰って読もうと思っていた。この本はここに着いた最初の数日、全然言葉が通じなくてナーバスになってたときに買った日本語の小説。面白いけど3巻もあって結構長いので早く読んでしまいたかった。

「オーケー、Z。今日の夜、昔ウチで走ってたやつが遊びに来るんだ。よかったら来いよ。」

「うん、じゃあ7時ぐらいに行きます。」

 宿に戻って受付のおじさんに挨拶してカギをもらい、朝買って半分だけとっておいたローストビーフのサンドを食べながら本を読んで、7時になったので事務所に向かった。

事務所にいたのはショートカットの、聡明なイメージなんだけどとても愛嬌のある素敵な女性で、この街で最初の女性ディスパッチャーだったそうだ。彼女がテイクアウトしてきた寿司のパックを食べながら僕がここに来るきっかけになった好きな音楽の話をして、自分が好きな日本のバンドのメンバーと彼女が親友ってことにびっくりした。そのあたりでボスが、

「いいのが手に入ったんだ、吸うかい?」

と紙に巻いたタバコをくれた。彼女はいらないと言い、僕はもらって吸った。

そこからは記憶が曖昧だ。座っていたソファが沈み込んでいって、ソファの中に入りこんだかと思うとまた最初から沈み込んでいく。ずっと聞こえているボスと彼女の会話も日本語に聞こえる。とりあえずずっと笑っていたようだ。

「もう帰るぞ、Z。出ろ。」

こんな状態で帰るのは勘弁と思ったけどしょうがないから自転車を漕ぎ出した。とてもゆっくり。

 走り慣れた通りが不思議な風景に見える。建物は風に揺れる背の低い草のように細かく動いているのか、形が一定しないし、入口や窓も消えたり現れたりする。そもそも昼なんだか夜なんだかよく分からない。いつまで続くんだろう。宿にたどり着けるかな。

ようやく宿について、受付のおじさんに挨拶する前に正気に戻ろうと思ってロビーの机に突っ伏した。宿の住人が受付のおじさんと何か話をしている。そのうち受付のおじさんの声だけがどんどん大きくなり、何か聞き覚えのある声になる。そうだこの声は昔ビデオで見た現代音楽家の声だ。ありがたいことに日本語で話している。

「釈迦がきのこを食べて死んだという話があります……だとすると世界が完全にきのこに覆われても不思議ではないわけです。」

…そうだ、きのこのはなしだ。

「私の聴いた講義によると、きのこには 75 種の雌と 150 種の雄がいて……世界は知れば知るほどますますわからなく不思議になりますね。」

…僕はまだ知らないことだらけだ。

「私はインスピレーションがなくても常に生き生きとしていたいんですが……もし空中にきのこがあるなら、常にインスピレーションが受けれますね。」

…いつものベーコンエッグに明日の朝はマッシュルームケチャップで決まりにしよう。

“If there are mushrooms in the air,
we can be sure to be inspired all the time.”