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2017/7/7

[Bike 伊豆 between you and me] 醒めない。

雨の予報が出ていたのだけど、またの機会が訪れることなどないように思えたから、別プランをひねり出すことはしなかったんだ。

南西からの強い風はここまで流れてくる間にたくさんの水蒸気を運んできたようで、手ですくい取れそうなくらいの濃い空気に肘関節の内側がひどくベタついた。

 

7月1日、スピッツのライブコンサートを観覧しに静岡県袋井市のエコパアリーナを訪れた。

母艦ジムニーをエコパ第4駐車場に停泊させ、搭載機Seven Cycles Sola Sを有人探査機として発進させる。

雨の予報に抗い自転車を持ち込んだのには当然理由がある。

 

妻は問ふ。

スピッツのライブに自転車は必要ないでしょ?と。

ノンノン、ぼくらは快楽を昇華させることに常々思いを巡らせているし、そしてまたその術も知っている。

そこに自転車は必要不可欠なのだよ

 

実はエコパアリーナに到着する以前に今回のワンデイトリップの目的の一つが成し遂げられている。

このジムニーを拝むこと。

新東名高速道路、清水パーキングエリアに期間限定で展示されているダートトリップ仕様のジムニー。

強く憧れる。

 

シムワーカーは車が好きである。

シムワークスが共に仕事をさせていただいているフレームビルダー達も車が好きである。

ぼくも彼らほどのことではないが、それなりに好きである。

ようやくジムニーを購入したばかりである。

 

これは彼らに共通する考えではなく個人的な考えになるのだけど、自転車だけで終わらせてしまうのはこの人生勿体ない。

だから音楽を四六時中聞くこともあるし、乗りたい車を購入する許可を妻から貰うのに8年掛かっても諦めなかった。

人生にはより多くの種類の喜びがあって然るべきで、嫌いなものより好きなものが多い方が楽しい

一番はやっぱり自転車であるのだけど。

 

ぼくはジムニーに自転車を積んで遊びに出掛けることが大好きである。

 

エコパアリーナに到着したのは午前9時30分頃だった。

どうやら強烈な湿気は空気抵抗を割り増しにするようだったが、走り出すとすぐに雲が薄れ始め、茶畑の緑をより鮮烈に浮き上がらせた。

 

静岡県はその全域で茶の生産が盛んであり、袋井市は中遠茶産地と呼ばれる産地に属する。

通常よりも長く蒸す製法の、深蒸し茶や特蒸し茶が多く作られているのだそう。

これらの茶葉は抽出されやすいので、水出しにも向いている。

ちなみに水出しによる低温で抽出されるある種のカテキンは免疫細胞を劇的に活性化させるということがわかっている。

風邪を引きやすい方には水出しがおすすめ。

 

目的の二番目、それは”さわやか”。

国内最強のハンバーグレストランさわやかである。

 

最近は静岡県東部にも精力的に出店を重ねてはいるのだけど、アウトレットモールと高速道路インターチェンジのそばという素晴らしい立地であったりする為か、ディナータイムには2時間待ちなどという恐ろしい事態に陥っている。

他県からの人の渦に、静岡県民が立ち入る隙などないのである。

 

さわやかはインターチェンジ付近を狙って出店する。

元々の大きな理由は、工場からの毎日の配送を容易にするため。

よって、高速道路のない伊豆半島への出店は今のところはないのではないかと推察できる。

 

ぼくは恐らく一年半ぶりくらいにさわやかを食べた。

袋井本店の混雑っぷりはまだ常軌を逸してはいない。

 

ハンバーグとビビンバ。

胃袋の容量に空きがあれば、ビビンバをぜひ。

突き抜けちまった美味さを知れ。

 

さわやか袋井本店を後にし、ジュビロの本拠地磐田市をまたぎ、天竜川を渡る。

 

天竜川。

県民は小学校の社会の授業で、富士川、安倍川、大井川、天竜川の静岡県内四大河川を習うのだけど、天竜川はその中で最も西を流れ、源流は長野県の諏訪湖にある。

元々は天流川と書かれていたそうで、「てんりゅうがわ」と読まずに「あめのながれがわ」と読んだ。

天から降り注いだ雨が、諏訪湖の水となり、天竜川の流れとなったことに由来する。

後に竜の字に転化したのは、やはりことあるごとに暴れ狂い、洪水と氾濫を繰り返してきたからなのだろう。

 

伊豆半島にはこれほどの大きな川はない。

天城から沼津へと流れる狩野川は静岡県内四大河川に次ぐ五番目と呼ばれているが、天竜川のスケールとは比べ物にならない。

しかし、狩野川は日本で唯一の流れ方をしている。

北上して太平洋に流れるという唯一の河川なのだ。

 

 

天竜川を渡ると浜松市に入る。

全国で二番目に面積の広い市であり、人口は県内最大の政令指定都市である。

 

ジムニーを世に生み出したスズキは浜松の企業であり、またヤマハ、河合楽器、ローランドの日本の三大楽器メーカーが浜松を拠点にしている。

全国屈指の工業都市である反面、米の生産量は県内一位であるなど、第一次産業の分野でも有力な市となっている。

農業産出額は全国で4位。

何もかもが大きい。

 

そんな浜松市東区にこの春、自転車屋がオープンした。

店の名をHAPPY & SLAPPY

Circlesでメカニックとして経験を積んだハッピーこと伊藤幸祐が地元の浜松にて開業した自転車屋である。

目的の三番目、ハッピーに開店おめでとうを言うこと。

 

彼は語りき。

毎日が楽しい、と。

この日も午前中に波を捕まえに海に行っていたようで、店先では吊るされたウェットスーツがまだ水を滴らせていた。

自転車の他に、サーフィンや釣りを愛するのがハッピーという男だ。

やはり人生にはより多くの種類の喜びがあって然るべきなのだ

 

彼は一度、大都会名古屋での生活を経験している。

ぼくは東京での一人暮らしが長かった。

そしてお互い生まれ育った田舎に帰って家族と暮らしている。

多くの人に故郷を大事にしてもらいたいと願うのだけど、一度は故郷を離れて暮らしてみるべきだとも思っている。

故郷には無いもの、有るもの、色々なものを色々な感情で見た後では、故郷はその目にどのように映るのか

ぼくとハッピーはかけがえのない経験をしてきたと考えている。

 

HAPPY & SLAPPYからエコパへの帰り道は舗装路を避けてダートを行く。

癖というかシンドロームというか、とにかく土の上が好きなのだから仕方ない。

 

長らくジープロードを進んだ末に渡らなければならない橋が崩落寸前だとしてもぼくはめげない。

橋を渡れず、またジープロードを数km戻らなければならず、メインイベント前に時間が足りなくなり銭湯で汗を流すのを諦めなくてはならず、しかしぼくはそういう遊びを心から楽しんでいる

 

エコパアリーナに帰着。

この日、チタンのバイクはぼく一人だけだった。

シングルスピードもぼく一人、MTBもぼく一人、そもそも自転車はぼく一人だった。

 

いくつもの視線が刺さる。

駐車場の誘導係の訝しげな眼差しを背中に感じながら、有人探査機を母艦に着艦させる。

開園の18時までの数十分がひどく遠かった。

 

JもPOPもダサいと思っていた、否、ダサいと思おうと努めていたぼくが一番ダサかった。

そんな若い頃がぼくにもあった。

今ではカテゴライズのまやかしに惑わされず、他人の意見にびびることなどなく、好きなものを好きと言えるようになっている

思えば、そう言えるようになったのは自転車に乗り始めてからかもしれない。

 

スピッツは最高にかっこよかった。

30周年を誰よりも喜んでいたのは4人だった。

彼らは30年間、4人で続けてきたのだ。

MCでは若いころのことを多く話していたのが印象的だった。

文化服装学院の夏祭りで初めてバンドを組んだのがちょうど30年前の7月だったと。

その13年後にぼくは文化服装学院に入学することになるのだが、それはどうでもいい。

 

彼らは50歳だ。

本当に変わらない4人だと思った。

しかし20数年前に作った曲なんて、今となっては細胞全て入れ替わってしまっているのだから、あれは別の人間が作った曲なのだよと、草野氏は語りき。

きっと変わらないということ、または変わるということを特別に意識したりすることなどないのだろうと感じた。

根本はいつまでも変わることはないのだけど、変化を恐れたりはしない人間の言葉のように思えたんだ。

 

ぼくはまだあの日の夢から醒めないでいる。

 

結成当初はパンクバンドだった。

30年経っての新曲はパンク回帰。

今のところはなかなか平常心を保ったまま聴くことが出来ない。

 

そして、最近自転車を通じて知り合った方はスピッツの映像を制作されている方だった。

ここ何年かのプロモーションビデオもその方がディレクションしたものだと。

自転車が巡り合わせてくれるものやことに毎度驚かされている。

 

次はどんな遊びを考えようか。

きっと想像した以上に騒がしい未来がぼくを待ってる。

 

 

text : Hiroki Ebiko / SimWorks XC Racing [Blog] [Instagram]