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2018/3/7

[Bike 伊豆 between you and me] タウングラスパー

先のシクロクロス東京レースレポートにてしたためた通り、ぼくは夜明け前に走る。

走るとは自転車のことではなく、ランニングだ。

平日はあまり多くの時間を割けない為、手短に30分程で済ませるのだけど、休日ともなれば1時間以上に渡って稜線が徐々に浮かび上がっていくのを目に焼き付けながら息を切らす。

 

一切の予定を立てていない、無垢な日曜の早朝。

一日の予定を考えるには心拍数が高すぎると思われるかもしれないが、走りながらの考え事は思いの外捗るような気がする。

 

我が家のすぐ近所に事務所を構えるタクシー会社に次々と夜勤明けのタクシーが戻ってくる。

時をほぼ同じくしてランニングを終えることが多い。

間もなく朝食がダイニングテーブルの上に並び、二人の息子は箸を握ったまま妖怪ウォッチにおける最強の妖怪についての議論に燃え、妻は早く食べ終えるように彼らを促す。

 

TERASU Vol.2 : CONNECTIVE TISSUEを開いて彼らが食べ終えるのを待つ。

人と水の関係性をテーマにした一冊だ。

 

今年に入ってから水とぼくの関りは一層深いものとなっている。

発展とも言えるし、覚醒とも言えるかもしれない。

ある日曜日を振り返って詳細に迫ろう。

 

溜まった雑務を午前中のうちに片づけ、昼食は地魚を頂くことにした。

伊東漁協直営の波魚波(はとば)という定食屋がある。

我が家から自転車で15分程の所に位置する。

水揚げによってメニューや限定数が変わり、時にはアコウダイのような激しくレアな魚にありつけることもある。

この日は定置網に掛かった特大ブリのカマ塩焼きを頂くことにした。

どんなに美しく形容したとしてもこの味を的確に想像してもらえる気が全くしない。

機会があれば、否、機会を作って食べて頂きたい。

 

こちら波魚波はオープンして7年以上が過ぎたのだけど、当初は漁協直営ということに難色を示す人たちがいた。

予てより水産物を提供してきた飲食業を営む人たちだ。

漁師にお客を奪われるという危機感を抱いたのだ。

実際には伊東で水揚げされる地魚の価値が上がり、地魚を扱う他店も活性化したのではないかと、ぼく自身は感じている。

当事者たちが今どう感じているのかはわからないが、地域に暮らす者としてぼくは頻繁に波魚波へ足を運ぶ。

それが必要なことと思えるから。

 

自転車においてもメーカーによる直販化の波は今後大きくなっていくと言われている。

受け入れがたい試練と捉えるか、活かすことが出来る好機と捉えるかはもちろん立場にもよるのだろうけど、嘆いているばかりでは波に飲まれてしまう。

望む望まないに関わらず、時は流れていく。

 

極上のブリが引き金となり、食への理性を失った。

伊東市民の8割が世界一美味しいと思っているかもしれないソフトクリームで胃袋を仕上げる。

この日、ぼくは栗サンデーに心を奪われた。

 

スイートハウスわかば

1948年創業の老舗喫茶店である。

毎日ソフトクリームの種をコトコト煮込み、その甘い香りでキッチンを満たしている。

 

わかばのソフトクリームは子供のころからとても特別なご褒美だった。

小学生のぼくは2時間以上掛け徒歩でわかばを訪れたこともあった。

今となっては自転車で15分と掛からない身近な店であるが、わかばが特別であることに変わりはない。

移動手段としての自転車で街を駆けソフトクリームという目的を果たす。

自転車が手段として機能することはとても美しい。

時々思い出すべくは花の色彩もまた元々は虫を集める手段なのだ

 

冒頭で、今年に入ってから水とぼくの関りは一層深いものとなっていると記したのだけど、それは温泉だ。

ずっしりと満たされた胃袋を全身で抱え、源泉掛け流しの銭湯へ。

 

伊東は温泉街である。

その源泉数、湧出量ともに国内第3位であり、本州においては第1位を誇る。

 

我が家から程近い公園に走る一本の水路には温泉の排水が流れ込んでいる。

その為通年変わらず水温が安定しており、誰かが放したグッピーが群れとなり住み着いている。

この公園はぼくらが子供のころからグッピー公園と呼ばれてきた。

つまり数十年前からグッピーがいくつもの冬を超えて世代を繋いでいる。

温泉があまりに身近なのだ。

 

そんな一大温泉地に生まれ育ちながら温泉とは縁の薄いまま2018年を迎えた。

あまりに身近すぎてその真なる価値に気付くことなくここまで来てしまったのかもしれない。

 

新年早々のある日、夜中に手首の痛みを覚え目を覚ますこととなった。

原因は不明、病院の開いていない祝日だった。

これが神経痛というものかとネット検索で自己診断してみるものの、やはりよくわからなかった。

やむなく安静という方法を取るのだけど、寒い日だった為、何となく温めた方が良いのではないかと思い、近所の共同浴場に向かった。

ぼくは温泉とようやく結びついた。

 

翌朝には手首をある程度動かせるようになっていた。

こういう実体験を以て気付くことにぼくらは往々にして正当な評価が出来ないものであるが、冷静に分析して思ったことはこうだ。

温泉は全能であるかもしれない。

その日以来、週に2~3回ほど温泉を訪れている。

 

全くどうでもいいことなのだけど、ぼくはどこに行っても14番のロッカーを好んで使う。

ヨハン・クライフへの畏敬と憧憬がそうさせる。

 

この街で魚が揚がるならその魚を食べるべきであり、この街にしかないソフトクリームが絞りだされるのであればそのソフトクリームを食べるべきであり、この街のあちらこちらから温泉が湧くのであればその温泉に入るべきなのだ。

そしてそれらを成すに必要なのは、己が街への好きを増幅させるブースターとも言える自転車だ。

自転車に乗って、街を知りに行こう

街もぼくらが自転車で往くことを望んでいるはずだ。

 

伊東市内に共同浴場は10軒ある。

先の画像をご覧いただいた通り、建物や設備はかなり古い。

殆どの浴場にシャワーはない。

しかし、どの浴場も清潔に保たれているし、何より体を優しくしっかりと包むような泉質はとても心地よく、自宅の水道水の風呂ではまるで物足りなくなってしまう。

全ての浴場でカランから流れる湯も源泉から引いたものだ。

 

料金は200円~300円。

ぼくは自身の暮らす区の共同浴場には90円で入ることが出来る。

他所の温泉街の共同浴場では地域に暮らす人でないと入れないということもよくあると聞くが、伊東ではそんなことは一切なく、全ての共同浴場が誰であっても歓迎してくれる。

 

共同浴場では体中のしわとは対照的な大きく鮮やかな入れ墨を背中に彫ったご老人に遭遇したことがある。

右肩から先を失った隻腕のご老人の背中を他の入浴客が何も言わずに流し始めるという光景にも出会う。

共同浴場とは実にドラマチックなものだ。

ぼくが積極的に地元の温泉に関わってこなかったというのは大きな損失であったのかもしれない。

 

誰も訪れたことのない果てを目指すエピックライドでなくとも、目的の何かを求め時速20km以下でゆっくりと街を駆けることにも大いに意味がある。

数え切れないほど繰り返し通ってきた道にも未だに新しい発見がある。

ぼくは街の深部まで知りたい。

そこに自転車が不可欠である。

車ではない。

 

自転車で巡るべき特別な目的はどの街にだってある。

もちろん名古屋にも東京にも。

スクランブル発進に備え、自転車は常に万全の状態を保つべきだろう。

これからは脚を露出してサドルに跨る季節となるからお気に入りの靴下のスタンバイにも抜かりなく。

街はぼくらと自転車を待っている

 

最後に、伊東市街地有人探査機を目下製作中である。

完成の暁にはまたこちらで紹介させて頂きたい。

 

text : Hiroki Ebiko / SimWorks XC Racing [Blog] [Instagram]