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2018/5/31

[Bike 伊豆 between you and me] アサギマダラはぼくに勇気を授けた。

車のエンジンを掛けるとカーステレオはCDの4曲目を流し始めたが、1曲目から聴くことにした。

彼の地へはリセットの心で出発するべきなのだ。

あわよくば早朝の富士山を拝めればと考え4時に自宅を出発したのだけど、気象庁が占った未来は紛れもない現実となり、富士山の展望どころでなく50m先の視界をも不確かなものとした。

朝霧高原の地名は伊達ではなかったが、青木ヶ原樹海を抜け上九一色村を過ぎるころには雲は剥がれつつあった。

 

100kmのレースを晴天の下で走ることが出来るのは間違いなさそうだった。

今年もSDA王滝 100km シングルスピードカテゴリーに参戦した。

ぼくが最もこだわっているレースである。

 

レースレポートが早くも逸脱してしまうことを先にお詫びする。

4曲目から1曲目に戻したCDとはこれだ。

上原ひろみ x エドマール・カスタネーダ ライブ イン モントリオール。

ぼくは特にジャズを好んで聴く方ではない。

しかし上原ひろみだけは別だ。

彼女ほど大きな音を出せるピアニストはいないとか、唯一無二の作曲スタイルだとか、色々な評価についてはよくわからない。

ぼくはジャズを好んで聴く方ではないのだから。

しかし感じることはあり、それが彼女こそぼくにとって特別だと思う所以である。

ジャズとは自由であると言われるが、彼女の奏でる音楽からはフリーダムというよりもリバティを感じるのだ。

解放がもたらす自由だ。

彼女が鍵盤を叩く、すると黒い箱に囚われ閉じ込められていた音の粒達が宙に解き放たれた歓喜の声を上げ、それら全てを織りなすことで音楽としているようにぼくには聞こえる。

しっかりと働いた平日を終えてレース会場へと向かうロングドライブで聞くには最高の音楽であったし、雨のち晴れの空模様にも誂えたような音楽だと思った。

動画では天才ハーピストであるカスタネーダのトップスが我がシムワークスの Look At Me柄に似ている点にも注目していただきたい。

 

普段は単騎での参戦である王滝だったが、今回は何とも心強い二人が同調してくれた。

香月選手と山岸選手だ。

両名とも折り紙付きの脚力の持ち主ではあるが、初の王滝参戦。

二人からは大いなる不安と気負いを感じたが、話は後で聞こう。

まずは王滝村唯一の食堂、王滝食堂で名物のいのぶた丼を。

 

 

風にかき消されないように少し声を張ってのサドルトーク。

普段は独りで走るぼくにとっては大袈裟でも何でもなく最高に楽しいひと時である。

風はまだ仄かに冷ややかな残酷さを帯びていて、日差しと新緑の眩しさにはそぐわない皮膚感覚を覚えた。

翌日は更に冷え込むという予報が出ている。

ウェア選びに悩まされることになった。

 

セーブアワーソールズのコアスパンクールマックスソックスのエバーグリーン柄が王滝の土地にはよく似合う。

 

大正から昭和にかけて、王滝村を始めとする木曽谷は優良な天然ヒノキの一大産地だったそう。

そして切り出したヒノキを大量に輸送するために木曽一帯に敷かれた森林鉄道は総距離400km以上だったと言われている。

木曽の森林鉄道の代表的存在が王滝森林鉄道で、42kmクラスレースのスタート地点である滝越地区にその保存車両が展示されている。

次は保存車両を目指してサドルトークを紡ぎたい。

 

王滝とは聖地である。

巡礼者が集う。

仲間たちとの再会を喜ばずにはいられない。

 

シングルスピードの友人とは決まってギア比の話になる。

ギア比いくつ?はいわば挨拶である。

ぼくらが選び取れるギア比は一つだけだけど、孤独ではない。

マイノリティ故の結束なのかもしれないが、例えシングルスピードという同じ呪いに掛かっていなくともぼくらは違う共通項を見つけ出して上手くやっていけるんじゃないかと思える。

 

早めの入浴と早めの夕飯を済ませ、香月、山岸、両選手とゆっくり100kmのイメージ作りを。

 

ぼくはボコボコに変形していたリムをひと月程前に交換して臨んだ。

チェーンとブレーキパッドも新品に交換してきた。

普段想像もしないことが起こり得るのが王滝である。

実は王滝ではこれまで大きなトラブルに見舞われたことがないので、想像もしないことが起こりそうな気がしてしまうのが王滝である、と言うべきかもしれない。

事前に一つずつ不安を取り除いていくところから王滝は始まっているのだ。

 

消灯までの間に、二人の不安を少しでも取り除くことが出来たのかはわからない。

むしろ新たな不安を植え付けてしまっていたのかもしれない。

けれど、いずれにしても苦しむことには違いない。

不安などすぐに苦しみが塗り潰してくれる。

 

午前3時に目覚ましが鳴る。

 

レース前は身支度やら食事やらで写真を撮る暇もなく、レース中はもちろん撮る余裕がないので、フィニッシュ後の写真となる。

 

早朝は霜が降り、氷が張っていた。

昼を過ぎると15℃を超える予報だった。

半袖のジャージでは危険だと判断し、しかしシェルを羽織るには気温が高くなりそうだった。

そんな朝はサーチアンドステート ロングスリーブメリノジャージに頼るほかない。

登りが長く、同様に下りも長いが速度は出にくい王滝。

更にガレ場の下りでは全身を使って衝撃に耐えることになり、ある程度風を取り込みたいので風通しの良いメリノジャージに体温維持を任せることにした。

結論から言うと、この選択は最善だったと思える。

転倒して一張羅のジャージを破いたりしないかという不安もあったが、その点も問題なくやり過ごすことが出来た。

 

4月末の大雨で、コースの一部が通行不可となっているらしく、コースに変更点があった。

真っ暗なトンネルを通るらしく、土曜の早朝にライト装着義務の連絡を受け取った。

通常のコースではなくなったので、フィニッシュタイムの自己ベストに挑むことは出来なくなったが、実際にレースを走ると最近土砂を取り除いたであろう形跡がいくつかあった。

開催に向けての尽力が見て取れた。

 

一つ目にして最も長い登りでは快調に飛ばすことが出来たのだが、二つ目の登りでペースを落としていくことになる。

そんな中、フワフワと宙を漂う白と黒と褐色の蝶がレースを横切った。

アサギマダラだ。

初夏から夏にかけては標高の高い山地に生息する蝶で、秋になると南へ移動する。

移動と言ってもちょっと麓までという距離ではない。

海を渡り、国境を越えるのだ。

2000kmを旅したという調査報告もある。

何のためにワタリをするのかは実はまだ解明されていない。

何のためにぼくはこの過酷なレースを走っているのだろうと、己の弱さが垣間見えた局面でアサギマダラが現れた。

軽やかな飛翔に勇気付けられることとなった。

 

いっぱいいっぱいの状況が続くと、ある瞬間、何の前触れもなく体が軽くなることがある。

そんなわけのわからないものが舞い降りてくれるのではないかと期待しながらペダルに体重を預けていたが、それは望むほどに遠ざかるようだった。

 

今回のコースは舗装路が続く区間があった。

僅かに下り勾配のかなり長い下りだ。

基本的には登りにギア比を合わせているシングルスピードにとってはかなり辛い区間となった。

 

下り終えると今度は舗装路の登り。

距離と獲得標高から察するに、恐らく最後の登りであろうと睨んだ。

体のあちらこちらが軋んだが、早くレースを終えたい一心で渾身の一踏みを繰り返した。

 

その矢先、どこかから空気の漏れる音が聞こえた。

サスペンションフォークから空気が漏れているのかと思ったのは、王滝ではこれまでパンクをしたことがないぼくが舗装路の登りでパンクをするなど、酸素の足りない脳では想像だにしなかったからだ。

しかし空気が漏れ続ける音は間違いなくフロントホイールの回転に呼応して、ぼくの耳から数十cm遠ざかったり、逆に近づいたりを繰り返した。

紛れもなくパンクだ。

 

王滝での初のパンクが舗装路の登りだなんて片腹痛かったが、とにかく早く穴を塞がなければならない。

パンクはしないつもりだったが、チューブレスタイヤのリペアキットもチューブも携帯している。

穴は数mm程のもので、リペアキットで十分塞げそうだった。

 

キットを取り出し、ヒモ状のゴム栓を透明なフィルムから剥がそうとするが、購入から二年以上経過していたせいかなかなか剥がれない。

ゴム栓との格闘の間、「( ̄m ̄〃)ぷぷっ! だっせー!www」との嘲笑を以てぼくを抜き去っていったのはシムディーラーである”たぬき小屋”様の双子店主の弟君、福王子一樹選手だった。

福王子兄弟はシングルスピードにおける良きライバルであり、友人である。

彼の嘲笑と衝撃の一言はぼくに大きな力を与えた。

更には全てが美しく輝いて見え、世界は少しずつぼくに元気を分けてくれるようだった。

 

この穴を塞いだら全力で追いかけて勢いそのまま抜き去る。

シムディーラー”たぬき小屋”様、日ごろのご愛顧、誠にありがとうございます。

けれど容赦はしない。

 

ゴム栓を引き剥がすにはどうにも素手では無理であったので、歯でむしり取る。

遠い昔、格安の焼き鳥屋で食べた格安の酢モツの噛み応えを思い出した。

引き剥がしたゴム栓を抜い針状の工具にセットし、タイヤの穴へと差し込めば修理は完了であり、手順は購入時に何度も確認していたのだけど、先ほど記したように購入は2年前だった。

何度も確認した手順は二年の間にかなり色褪せてしまっていた。

何分無駄にしただろうか?

5分?10分?

何とか復帰を果たし、前だけを見た。

 

全身全霊で往く。

心拍計は188を表示し、手の指全てが痺れ、目が霞んだ。

いくつものコーナーを曲がってもなかなか彼の後姿を補足できなかった。

けれど、不思議と焦りはなかった。

焦る余裕すらなかったのかもしれない。

長い直線の果てに周囲の選手とは明らかに違って重いギアを踏んでいる選手を見つけた。

恐らく下りでは彼の方が速い。

登りで追いついて、登りで差をつけておかなければならなかった。

早くこのレースを、この辛い登りを終えたいと願っていたのが嘘のように、この登りがもうしばらく続くようにと心の底から願っていた。

 

無言でそっと抜き去る。

声が出ないのだ。

フィニッシュまで後ろを振り返らなかった。

5時間30分40秒の6位でレースを終えた。

福王子一樹選手は約50秒遅れてぼくに続いた。

彼には目が霞むほどにとんでもなく酷い目に合わされたのだけど、お礼を申し上げたい。

ありがとう。

 

香月選手、山岸選手も無事にフィニッシュを果たした。

レース後、彼らから過酷さゆえにもう王滝は走らないという声が出るのではないかと不安があったが、再び王滝の地を訪れたいという明るい声が聞けたのは嬉しかった。

ぼくも今年は9月の王滝を走る予定でいる。

 

今回は恐らく一度きりとなるであろう特別コースでのレースとなり、これまでの自己ベストのタイムとは比較対象とはならないが、順位はおおよそいつも通りのものとなった。

トップ3の壁はとても高い。

けれど諦めない。

王滝が終わって4日後、ランニングを再開して峠を目指した。

王滝の表彰台に上ることがぼくの夢である。

 

そして、機会があればアサギマダラをゆっくり観察したい。

 

text : Hiroki Ebiko / SimWorks XC Racing [Blog] [Instagram]